もう駄目かもしれない(少し怖い話)

これはちょっとやばくなってきましたよ。念のためお断りしておきますが、これから語ることは私が実際に体験したことです。怖い話が苦手な方はこの先は読まないほうがよいかと思います。
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定期診察のためかかりつけの病院に車で出向いたのですが、駐車場に車をとめて病院の正面玄関まで歩く途中でふと気がつきました。(車に鍵を掛けただろうか?)最近鍵をかけ忘れることが多いのです。ちなみにキーのリモコンが壊れていて鍵穴に差し込んで回さなくてはなりません。もう10年以上経っている軽自動車ですし、リモコンを直すのに1万円ほどかかるらしいので直さずそのままにしているわけです。
それで気になって確認のために車に戻ろうと近づいたのですが、どうも様子がおかしい。
それは間違いなく私の車。ナンバーからも確認できます。
駐車場の一番端に停めたのですが、車の右後方から近づいていきました。
様子がおかしいというのは運転席に人影が見えること。
しかもそれは私自身に他ならない。髪型(自然な感じのオールバック)に服装(グレーのダウン・コート)ともに現在の私と全く一緒。顔そのものは確認していませんが私自身であることに間違いはありません。

何故か私は運転席に乗っているのであるから鍵の心配などない、と妙な納得をして怖いとも不思議とも思わず再び病院の正面玄関に向かって歩き始めたのです。
診察の順番待ちをしている間も診察中も先ほどの駐車場での一件はすっかり忘れていました。
会計が終わってさて帰ろうと車に戻ろうとしたときに思い出しました。
あの時たしかに運転席に座っている自分自身を目撃したことを。
今度は車の中には誰もいませんでした。ちなみに鍵はかかっていました。
あの時私が見たのはドッペルゲンガーだったのでしょうか。

ドッペルゲンガーといえばエイブラハム・リンカーンや芥川龍之介が有名ですが、「ドッペルゲンガーを見た人は近いうちに死ぬ」あるいは「死期の迫った人はドッペルゲンガーを見る」といわれています。ということはどちらの説が正しいのかしりませんが、どっちにしたって助からないということではないですか。
別にかまいませんけどね。人間いつかは死ぬのですから、それが早いか遅いかの違い。むしろ不老不死、永遠の命なんてものと手に入れたほうが厄介です。死にたくても死ねなくて永遠に生き続けなくてはならないなんて、拷問のようなものではありませんか。
それで一応、遺言をしたためて、医学研究用に献体することにしました。なお、臓器移植は一切拒否。というのはいくら辛い病気であろうとも他人の臓器を貰ってまで生きながらえようとする浅ましさ見苦しさに我慢がならないからです。
というわけで近々私は死ぬことになるかもしれませんが、このブログが更新され続けるかぎり私は生きている証となります。近々といっても明日なのか一週間後なのか一年後なのかはっきりわかりません。もしかすると、この先何十年も先のことかもしれませんね。

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